K.TAKAMATSU STORY

幼少期

 私が、絵を描くきっかけになったのは、小学生の図工の時間に担任の先生から

 「高松君は、絵が上手いね」と言われた一言だった。

 私は、子供の頃から病弱で、長期入院をしたこともあり、勉強やスポーツに自信が持てず、どちらかというと内向的な少年だった。

 そんな時にかけられた一言で、学校に行くこと、絵を描くことが楽しくなった。かつて、父も画家に成りたかった事を断念した経験から、私が絵を描くことを黙って見守り続けてくれた。

 三沢市で育った私は、子供の頃から自然な形でアメリカ人と遊んでいた。

 異国の文化や生活習慣を、羨望の眼差しでみていた。

 白いハウス。緑の芝生。Gパン。レイバンのサングラス。スポーツカー。

 敗戦国の日本では考えられない原色の世界を記憶に留めた。

 その時の記憶は後に、作品に大きな影響を与えたと思う。


青年期

 高校卒業までを青森県で過ごし、進学のために上京して寮生活を始めた。

 同級生は芸術家やグラフィックを目指すために進学してきたと思われたが、私は絵を描きたい一心で進学した。

 学友からの刺激もあり、それ以上に、都会は刺激的で驚きの連続だった。

 日本は、高度成長期の真っ只中で、海外からの食文化、音楽、ファッションであふれ、校外の楽しさに遊びに明け暮れた。ただ、絵を描くことだけは常に続けていた。遊びの中で刺激を受けたことは大きな糧となっている。

 卒業を迎え、学友達はグラフィックデザイナー、インテリアデザイナー、

 ファッションデザイナーなどそれぞれの道を歩みはじめた。

 私はその時点でも現実の職業を具体的に捉えられず、絵を描けるという条件が満たされればと考え、都内のデザイン会社にイラストレーターとして就職した。


修行期

 就職して始めに感じたことは、学生時代に学んだことは基礎だけで、プロの世界では全く通用しないことだった。

 就職先の社長は、ボタニカルアートの一人者で、特にバラの絵は素晴らしく、私は見ながら技術を取得した。来る日も来る日も、クライアントからの挿絵を描く事の繰り返しに、技術は身についたが独自の作品が描けない事に、多少ヘキヘキとしていた時。父に電話で、独立を仄めかしたが「石の上にも三年!」と一括され、その通り三年を費やし独立した。

 この時期に取得したボタニカルアートの技法は、後に大きな力になる。

このページの先頭へ


プロフェッショナル

 待望のフリーのイラストレーターになって、最初に感じたことは、クライアントの獲得がとても難しい事。何のコネクションも持たない無鉄砲な私は、作品を抱え、飛び込みで売り込みに奔走した。昼は、売り込みに駆けずり回り、夜は仕事をこなす日々。フリーの厳しさは、クライアントの要求に答えられないと次の仕事に繋がらないことを意味する。高度なクオリティーを要求するクライアントの仕事で、スーパーリアリズムの技術を取得できた。

 多忙な5年が過ぎ、体調を心配した母が、父の事業拡大や結婚などを期に帰郷を促した。私と妻は、渡米した後に帰郷する事を条件に、憧れのアメリカに渡った。2年あまりを過ごす事になる。アメリカでの時間はアーティストとしての視覚の部分に刺激を与えて、制作意欲を呼び覚ましてくれた。

 帰国後、三沢に帰郷した。郷里に体は癒されたが、制作意欲を失った。そんな私に妻が「もう一度絵を描いて」とリキッテクスのビエンナーレに出品するよう勧めた。妻は、絵を描く事が私の天職であると私以上に確信を持っていた。再度上京することを告げると、父は複雑な思いを隠し見送ってくれた。

画家

 ビエンナーレ受賞をバネに、再度上京し画家活動を開始した。

郷里の充電期間をエネルギーに、本来の制作意欲が戻り、執りつかれたように制作した。そんな中、フッと、新しい事にばかり目を向けていた自分に気づき、先人の巨匠の遺作を見ていないとを思った。妻と共に、ヨーロッパに渡り、美術館を巡り多くの作品を鑑賞した。歴史の偉大さの前に、私は視覚ばかりに捕われていた事に気づく。ローマのバチカンの壁画の前では、感動のあまり動くことが出来なくなり涙が止まらなかった。

 帰国後、大きな壁にぶつかる。意欲はあるのに描けないジレンマに陥り、アルコールに依存した。体調も最悪になり、自分の殻に閉じこもる毎日。

 そんなある日、妻が小さな黒い毛糸玉の様な物を手渡した。それがBlackyだ。物言わぬ彼は、アトリエをはしゃぎまわり、ボディーランゲージで私を散歩に誘った。Blackyとの散歩が日課になり、衰えていた体も回復していった。

 今になって思うと、Blackyは私を心配し、外に目を向けさせようとリハビリに一躍かってくれたのだと思う。その後22年間彼との楽しい生活が続いた。

 Blackyは、一昨年暮れに天に召された。

 物言わぬ小さな哲学者は、私の心の目を開眼させてくれた。勇敢な彼は、沢山の想い出と、多くのエピソードを残してくれた。

 彼の「無償の愛」は、一生を通じてのメッセージとなり、私の心に生き続けている。

未来

 長年の画家生活で、どれだけの作品を描いたのか?

 自分でも分からないほど多くの作品を制作している。

 近年、自分には何が出来るのか?自問自答していたが、以前とは変わらない思い「愛と平和」そして「安らぎ」をテーマに、絵を通してメッセージを送り続けることが使命だと確信した。私の持ちうる限りの技法と表現力で...

このページの先頭へ

Copyright (C) 2010 K.TAKAMATSU All Rights Reserved.